世界遺産 ルアンパバーン 托鉢風景 メコン川
ハノイ バッチャン陶芸村 ハロン湾 など ラオス・ベトナム1.はじめに 去年の年末(2011年12月)にラオスとベトナムに行ってきました。 目指したのはラオスの世界遺産ルアンパバーンとベトナムの世界遺産ハロン 湾です。 ラオスへ何回か学術調査に出かけている知人から「ラオスの人たちの暮ら し方はかつての日本に近く、心情的にも日本人に似ている」と聞いたことが ラオス訪問を決めたきっかけでした。ラーオ人民民主共和国、通称ラオ ス(日本語表記=ラオス人民民主共 和国)は東南アジアでは唯一海に面 しておらず、人口630万人あまり の国です。 ルアンパバーンはラオスの北部に あります。(首都はビエンチャン) ベトナムの首都ハノイは南北に細 長い国土の北部にあり、ハノイの東 部にハロン湾があります。 今回はルアンパバーン→ハノイ→ ハロン湾と移動しました。 2.寺院 ルアンパバーンはかつての王国の首都でした。 1995年、ルアンパバーンの町が世界遺産(文化遺産)に登録されました。 ラオスにはラオ族を中心に49もの民族がいるそうです。 全体の70%近くが仏教を支持しているそうで、ルアンパバーンには沢山の 仏教寺院が残されています。 独特な形状の屋根をもつ代表的な寺院ワット・シェントーンは約450年 前に創建されたそうです。(ワット=寺院)
←ワット・シェントーン ↓庭に咲いていた花
寺院には鮮やかなレリーフの装飾が施されていました。 隣国のカンボジアやタイなどと共通している感じがしました。
←ワット・シェントーンの入口 ↓ワット・マイの壁に描かれた物語の絵
![]()
←王様の葬儀に使われた霊柩車 ↓霊柩車庫の壁画
かつての王宮(1975年に王政廃止)が王宮博物館として公開されてい ます。
←王宮博物館 ↓博物館に翻る国旗
3.托鉢 朝6時半頃、ようやく辺りが明るくなってきました。 托鉢風景を見学する人たちが集まってきました。場所はサッカリン通りとい うルアンパバーンのメインストリートです。冬至に近い12月末のため、誰 もが長袖の上に防寒着を羽織っっています。 観光客用に、喜捨する食べ物と敷物を勧める人がいました。 しかし、信心にかかわることと、この国の人たちの優しさに根ざしているた めか、どこかの国の商品販売のように、しつこく食い下がる風景はありませ んでした。
←托鉢を待つ人たち ↓裸足の托鉢僧
お坊さんに差し上げるのはご飯(蒸したもち米)、おかず、バナナなどで す。ご飯は指でちいさくまるめて素手で渡します。お坊さんは沢山の人から 少しずつ受け取ったご飯を食べるようです。 お坊さんの上前をはねる人がいました。 何人かの小さな子どもがお布施をあげる人と並んで座っていました。お坊さ んはその子供たちに自分がもらった食べ物、主にバナナをあげていました。 もしかしたら、道端の店で売っている焼バナナは、こうして子供たちが集 めたものなのかも知れません。
←お坊さんから喜捨を受ける子ども ↓無言で喜捨を受ける托鉢僧
観光客の少ない裏道でも托鉢の風景を見かけました。 王国から共産主義国家に変わった当初、托鉢が一時禁じられましたが、間も なく従来通り認められるようになったそうです。現在、宗教は自由との由。 4.市場 露店が多いのに驚きました。 朝早くから狭い道、そこそこ広い道にずらりと品物を売る人たちが並んでい ました。売り物はほとんどが野菜を中心とした食品です
←狭い道に並んだ食べ物屋さん ↓そこそこ広い道に並んだ食べ物屋さん
狭い道に並んだ食べ物屋さんは昼前には居なくなりました。 そこそこ広い道の食べ物屋さんは午後も営業していました。食べ物の中には、 開いて焼いたネズミ、採りたての蛇などもありました。筍は、こちらでは楊 枝位に細くバラして食べるようです。
←午後も営業している食べ物屋さん ↓
道路を占める店は食べ物屋さんだけではありません。 夕方になると、大通り一杯に夜店が並びます。車両は通行禁止となり、テン トが一斉に開きました。売り子は10〜30歳台の女性が中心でした。食事 の出前を利用している売り子さんもいました。 売られている商品は絹のショール・小物などの布製品を中心に、各種装身 具など、多種類にわたります。間口2,3メートルの店が数えきれない位連 なっていました。
(同行の陶芸仲間Aさん撮影) ←一斉に開いたテント ↓延々と連なる夜店
夜店を利用するのは観光客が中心と思われます。 地元の人たちは露店の店を利用することで、ほとんどの食品は調達できるの でしょう。したがって、街にスーパーマーケットは必要ないのかも知れませ ん。 と思っていましたが、翌日スーパーマーケットを見つけました。 ただし、大きなグラウンドふたつ位の広場に、膨大な数のテントがひしめき 合っている商店街でした。ここでは食料品以外に、衣類、時計、靴、電気製 品、プラスチック製品..など、生活に必要な品物が全て売られていました。 店はテント毎に個人商店が入っているようです。
←スーパーマーケットの入口 ↓グラウンドを埋め尽くしたテント
ここで初めてお目にかかった食品がありました。 佃煮です。イナゴは昔食べた記憶がありますが、その横に並べられていたも の、それはコオロギ、タガメ、カメムシなどの佃煮でした。 5.メコン川 1時間余りのメコン川クルーズを楽しみました。 ルアンパバーンの北方20キロ余りの地点までマイクロバスで行き、川下り のボートに乗ったのですが、乗り場に着くまでが大変でした。道が舗装され てなく、山道を走る馬の背に乗っているような感じでした。 乗り場近くの村に寄りました。 絹製品を売る店がずらりと並んでいました。圧巻だったのは、薬用酒です。 コブラやサソリの入った酒ビンが並んでいました。ビンの細い口からどうや ってコブラやサソリを入れるのか、不思議でした。
←土産物店の並ぶ村 ↓並んだ酒ビン
メコン川を見下ろすレストランで昼食を摂りました。 郷土料理に合わせて飲んだコブラ酒とサソリ酒が絶品でした!(...ウソ) 細長い遊覧船が頻繁に上下していました。
←岸につけられた小舟 ↓細長い遊覧船
レストランの対岸にパークウー洞窟がありました。 絶壁に自然に穿たれた洞窟には、4千体以上の仏像が安置されているそうで す。 この辺りはメコン川としては川幅が狭く、1キロ弱の感じです。 洪水のときは水位が上がり、数年前には10メートルも上がったそうです。 洪水の時に上昇した水位を示すため、左下写真の右端に白い横線を入れてみ ました。洞窟に安置された仏像の近くまで迫ったようです。
←洞窟のある絶壁 ↓洞窟からレストランのある 対岸を見る
海のないラオスにも島がある、と知人から教わりました。 ラオス最南端のシーバンドンは、4千以上もの島がメコン川の中に浮かんで いるのだそうです。その辺りのメコン川の流域幅は、島を挟んで10数キロ 以上に及んでいるようです。 メコン川の岸には船着き場が散在しています。 しかし、水位の変動が激しいためか桟橋のある所は少なく、船は岸辺に直接 着岸して乗り降りしています。
←観光船 ↓プーシーの丘から見た夕日
川下りの船は揺れが少なく、絵葉書を書くことができました。 その日の夕方に、ルアンパバーンの切手販売所で日本宛に投函した4枚の絵 ハガキは、6日目に全て無事配達されました。 6.陶芸村 ルアンパバーンからハノイまでベトナム航空で飛びました。 夜のハノイ市街をバスで遊覧した翌朝、ホテルの近くにあったハノイ駅まで 散歩してみました。時刻表をみたら、南のサイゴンまで特急で30時間かか るようでした。
←ホーチミン廟 ↓ハノイ駅
![]()
バスから撮影 ←バイクで出勤する人たち ↓店で朝食を食べる人たち
東のハロン湾までおよそ170キロのバス旅行です。 途中、バッチャンの陶芸村で一軒の窯元に寄りました。日本で陶芸村と言え ば山の中を想像しますが、ここは平地です。 ここでは粘土を掘り尽くしたため、他所から粘土を運んでいる由。およそ 9千人の住民の7割位が陶芸関連の仕事についているそうです。バッチャン と言ってもおバアチャンは見当たらず、働いていたのは若いネエチャンばか りでした。
←工房入口 ↓焼成待ちの作品
今回は作陶に熱心な陶芸仲間2人と一緒でした。 ここの工房ではほとんどが量産品だったため、独創的な芸術品を目指してい る私たちには(!?)、これはと思う作品は見当たりませんでした。
←絵付け ↓石膏型の取り外し
衝撃的な場面に出会ったのは、次の休憩場所でした。 一瞬、絹を裂くような悲鳴が聞こえたような気がしました。 私は眼を疑いました。 な、な、なんということなのだ! こんな暴虐行為が許されていいのか!! ↓ ↓ ↓ ↓襲われた女性!!
全容を確認したい方はこちらをクリックしてください。⇒ 見たい!! 立ち寄った休憩場所は国営の土産品店でした。 屋外では大理石の彫刻品、屋内では布製品、装飾品、食品などを販売してい ました。建物内の入口に近い一画で数十人が刺繍をしていました。作業員は 枯葉剤の被害を受けた障碍者だということでした。 同行の陶芸仲間Wさんが絹製の刺繍を1枚買いました。 「あそこで働いている人たちを見たら、買わずにはいられなくなった..」 とのこと。Wさんが顔に似合わずよく女性にもてる理由は、この優しさにあ るのかも知れません。思い切って約1万円を投じたそうなので、現地の貨幣 価値では10万円近いのだろうと思われます。
↑精緻な細工を施した刺繍 7.ハロン湾 ハロン湾には大小およそ2千の島があるそうです。 海のなかから岩がにょきにょき顔を出しているため、海の桂林とも呼ばれて いるようです。1994年、世界遺産(自然遺産)に登録されました。 貸し切りの木造観光船に乗って島巡りをしました。
←林立する奇岩 ↓香炉島
湾には水上生活者がいます。 彼らは観光客に海産物などを売って生計を立てているようです。生簀のエビ や魚などを観光客が選ぶと、観光船の中で調理してくれるというシステムが 出来上がっています。大きなシャコ1匹が4米ドルでした。 なお、ラオス、ベトナムのどこでも米ドルが通用したため、今回は現地通 貨に触れず仕舞でした。 観光船に小舟を横付けし、バナナなどを売る人もいました。小舟は大人が 操縦し、客相手は可愛らしい少年でした。
←水上生活者の住居船 ↓物売りの少年
大きな鍾乳洞がある島に寄りました。 内部にはかなり広い空間がありました。鍾乳洞が海面よりも高い位置にあり、 成長が止まっているそうでした。
←大きな石筍 ↓
8.蜘蛛の巣 その他 私は各国の蜘蛛の巣に興味をもっています。 蜘蛛の巣とは、張り巡らされた電線のことを指しています。興味のある方は こちら⇒「美しい国 日本の景観」をご覧ください。 全体的には、ラオスもベトナムも、全国を蜘蛛の巣で覆っている日本には 及びません。論評は割愛しますが、局部的には、日本に迫ろうとする意気込 みが感じられます。
←ルアンパバーンの町 ↓
![]()
←ハノイの旧市街 ↓
ルアンパバーン郊外の滝を見物しました。 観光用に開発されたという道路は舗装されていて快適でした。
←クアンシーの滝 ↓
私は途中の景色を眺めることができて良かった、と思いました。 平地の少ない山間部で、生計を立てるために苦労しているだろう人たちに会 うことはできませんでしたが、その姿が想像できました。 道路の近くに植林された広葉樹を多く見かけました。 紫檀の木の植林だそうです。ラオスに限らず、東南アジアの各国は紫檀、黒 檀、チークなどの銘木を産出しています。例えば、ミャンマーチークは良質 な木材として世界中で評価されています。植林は日本が支援しているのかも 知れません。紫檀は中国などに輸出されるそうです。
バスから撮影 ←農村の風景 ↓植林された紫檀
今回の往路はハノイ乗り継ぎでした。 待ち時間が6時間もあったのに閉口しました。ギリシャとトルコへ行った時、 カタール空港で6時間待ちましたが、カタール航空は2回とも3時間ほどの 市内見物をサービスしてくれました。カタール空港内にはリクライニングシ ートの休憩室もありました。今回はそのようなサービスはなく、狭い空港内 でうろうろするだけでした。
ひとつだけ有難かったのは、タバコ が安かったことです。 関空の免税店で1カートン2,800 円(通常4,100円)のものが、そ の半額以下の1,260円(17米$) でした。 ←照明が気になったハノイ空港内の店 9.おわりに 今回は一般の観光ツアーに参加しました。 参加者は私たち3人組を含めて15人でしたが、カップルは3組だけでした。 単身参加者は海外へ頻繁に出かけているようでした。広島から参加したと いう80歳近い単身参加の男性は、ルアンパバーンで托鉢に参加するのが今 回の目的だったそうで、喜捨を終えた後で爽やかな表情をしていました。 関東から参加した60歳台のお姉さんは、胃を全摘したと言いながら、毎 月1回以上海外へ独りで出かけているそうでした。50歳前と思われる若い 看護師のお姉さんも頻繁に海外旅行をしているそうで、行く先々で絹製の衣 装を買い込んでいました。他にもいた元気なお姉さんも含め、女性パワーに 圧倒されました。 ベトナム女性もパワーがある、と聞いていたことを実感しました。 ハロン湾の観光船に乗り込んでいた売り子の若いお姉さんです。断られても 断れてもあきらめない商売熱心に、多くの日本人は白旗を揚げました。石炭 で作ったという珍しそうなネックレスを値切って約800円で買ったところ、 船を降りた途端に駆け寄ってきた売り子のおばさんは、10個で1000円、 と迫ってきました。 残念なのは、ラオスで生活している地元の人たちと交流する機会が少なか ったことです。ホテル、レストラン、土産店、通りなどで出会った人たちの 全体的な印象として、ラオスの人たちは穏やかで慎み深い感じがしました。 (散策:2011年12月17日〜12月21日) (脱稿:2012年1月25日) ご参考:(東南アジア関連の記事) ・カンボジア/ベトナム ・タイ(戦場に架ける橋) ・バリ島(神々の島) ----------------------------------------------------------------- この稿のトップへ エッセイメニューへ トップページへ